アルベルト・アインシュタイン「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことだ」
常識を疑えないのは何故か
「常識を疑え」という言葉を最近耳にします。今までの考え方、今までの自分に対する投げかけであり、そこには変化や改革、新しいアイデアが求められています。
「常識を疑う」ことから始めようと考えているものの、「常識は普遍的なもの、絶対的なものだから、疑いようがない」だから、なかなか変わらないんだ、変われないんだと思う部分もありました。
実は間違った解釈をしていることに気付きました。
常識とは
「常識:社会を構成するうえで当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、
判断力のこと。」
(出典:wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E8%AD%98)
「社会的」だったのです。今働いている環境や今住んでいる地域や性別などの環境による価値観や判断力です。
ですから、今働いている場所が変わったら、住んでいるところが変わったら、
「常識」は「非常識」になり得るということです。
つまり「常識」は普遍的なものではなかったのです。
目からウロコでした。
常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことだ
「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことだ」
アルベルト・アインシュタインの名言の一つです。
育った環境、生活している環境は、それぞれ異なるので、普遍的ではありません。
もしかしたら、学生生活や集団生活という枠組みのなかでの常識というものの範囲が似通ったり、共通認識になっている場合もあるかもしれません。
ですが、
「環境による偏り、思い込みであるということ、絶対でも、普遍でもない」ということが理解できたことで、今いる場所から一歩踏み出して、眺められそうな気がしました。
凝り固まった考えは、簡単には崩せそうもありませんが、今までないもの、新しいものをどのように伝えたらいいのか。「常識を疑い」ながら答えを探す日々は続きます。